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広東語学院の先生や学生たちによる香港レポートのページ

電影・明星・音楽 - vol.147月10日/'03
追・憶 Leslie
―最後o既電影・簽名會・舞台―

電影・明星・音楽
日 本 語 訳
レポート/ by  上級2 本橋眞知子 
 
レスリーの一生は桜の花のように美しくも短く、4月1日、
桜が咲き乱れる日本で彼がこの世から去っていたという
悪い知らせを耳にしました。
今でもこの現実を私は信じられません。
でもレスリーはいつも高く目標を持ち、
全ての事に努力を惜しみませんでした。
 
私は彼のそんな生き方を尊敬していました。
だから彼の選択した道をも尊重します。そして私は
いつまでも彼の残したものを伝え続けていきたいと思っています。

彼は逝ってしまったけれど
永遠に私たちの心の中に生き続け、
彼も天国から見守ってくれるでしょう、きっと!
とは言え、レスリーとの別れは
私を深い深い悲しみの中に…。
そして、思い起こすのは
一年前のあの日。

*
追・憶 Leslie
― 最 後 o既 電 影・簽 名 會・舞 台 ―
*
最 後 の 映 画
 
幸運にも友達と一緒に参加したレスリーの遺作となった<異度空間>試写会のイベント

去年の三月二十三日、あの日香港はどんよりとし、一日中雨。まるで私の今の気持ちを代弁するかのように沈んでいました。
この映画で彼は精神科医の役を演じました。今までこの役を演じたことはなく、このことは彼にとってひとつの大きな挑戦といえるでしょう。心理描写の場面も多く、私たちは彼の色々な表情たくさん見ることができました。この映画は単に恐怖映画というだけでなく、心に負った傷とどの様に向き合うかを私達皆に教えてくれています。また向き合うことは難しくはあるけれども、いかに大切なことか、更にそんな人間の強さが表現されています。彼の演技はこの映画のテーマを観衆に伝えることができたと私は確信しています。そしてもちろんその見事な演技は「二十二回香港アカデミーの主演男優賞」にノミネートされたのです。レスリーはより良い香港映画を切望し、全力を注ぎました。私はより多くの人にこの映画を観てもらいたいと思っています。

* * * * *
最 後 の サ イ ン 会
 
その夜のパーティーでの彼は赤い革のジャケットにジーンズ姿、顔は浅黒くとても素敵でした。彼は紳士的でファン一人一人に微笑みかけ写真集にサインをし写真を撮りました。この時、この瞬間、そしていまでも、このことが本当だとは信じられないほどです。あたかもレスリーがまだ私の傍らにいるような感じさえしてしています。

加えて永遠に忘れられないのはレスリー最後のステージ。

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最 後 の 舞 台
 
―2003年3月8日香港コロシアムで行われた≪ペプシチャリティーコンサート≫―
あの日レスリーは思いもよらず突然舞台に現れました。
そして歩きながらこう言ったのです。
「みなさんこんばんわ!……音楽方面のこの上ない力を持った、しかもみんなに愛されているたくさんの友達に出会えて、今晩、僕はとても興奮して、とても幸せです。彼らは今夜ここでみんなの為に出演します。彼らの愛、彼らのパワーであなたたちは溶けてしまうよ。いいかい?! ……」
* * * * *
* * * * *

レスリーの忠実なファンになって二年余り、私にとってこの歳月は本当に充実していました。コンサート、香港映画を観、広東語を学ぶ等、レスリーは私に数え切れないほどの糧をくれました。私はとりわけ彼の歌声が好きです。彼の歌声の中から生きる力を得ました。でも私からレスリーに返せるものは何一つありません。あるとすれば永遠にファンであり続けることだけです。
 私は覚えています。広東語を学び始めた頃、いつか広東語で彼と会話できること、彼のコンサートで一緒に歌えることを望んでいたことを。そんなチャンスももう消えてしまいましたが、私は更に広東語の勉強を続けていきます。
理由は:『活到老、學到老』(歳をとっても一生勉強する)この言葉もまたレスリーの人生における座右の銘だったからです。
これからも歌詞の意味をもっと理解できるよう、毎日レスリーの歌を聴こうと思っています。そしてまた将来日港文化交流の少しでも役に立つことを願っています。

ありがとうレスリー。あなたに出遭えたことは私の誇りです。

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以上、レポート/ by  上級2 本橋眞知子
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